シンガポールの新聞から - 秋葉原事件報道

Posted on 6月 10th, 2008 by SEEBRA.
Categories: Sciety.

日曜日に秋葉原で発生してしまったあの悲劇について、こちらのメディアでも連日大きく報道されています。

その中から、シンガポールではおそらく最もメジャーな日刊紙、
THE STRAITS TIMES
よりいくつか取り上げてみたいと思います。
茶色字が記事からの引用。日本語は管理人による超意訳です・・)


これは6/8(月)付けの紙面より、

 

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若者のメッカが一転

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「怖いよ。安全な国だと思っていた日本でこんなことが起こるなんて思ってもみなかったよ。」
 -秋葉原訪問経験のあるインドネシア人青年

「これは世界中のどこでも起こることだ。日本も例外ではないということ。」
 -在日歴16年のエジプト人実業家

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8日付けのこの記事で特徴的なのは、「シンガポーリアンも含めた外国人にとっても、非常に有名なあのアキバで・・」としながら、そのアキバが最近は様変わりしつつあることを背景として伝えている点でしょうか。
メイドカフェの乱立や、この4月に“自称セクシーアイドル”が路上パフォーマンスで逮捕されたこと、他にも麻生さんが昨年の総裁選で演説に訪れたことや、奇しくも池田小学校事件からちょうど7年目の日であったことなども報じられています。

ただ、どうもこの記事では、乱立するメイドカフェの存在を事件の要因の一つに関連付けたいようなのですが、それはちょっと無理がありますね・・。

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Proliferation of ‘Maid cafes’ in geek haven has led to rise in crime.

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But the growing incidence of crime involving young women that acconpanied the mushrooming of “maid cafes” in Akihabara has tarnished the area’s image in the past months.

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In recent years, the district has also seen a growing number of young men who are drawn to its “meido kafue”, a kind of role-play restaurant which originaited in the area, where young woman dressed in classic maid costumes greet male customers with “Welcome home” salutations and massage their egos by treating them as masters.

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個人的には、メイドカフェ自体は(行ったことないですが)客側も店員側もそれぞれ楽しんでやっているようなので特に問題はなく、今回の事件との因果関係も全くないと思います。
ですので、“時にはそんな光景が外国人の目には奇異に映ることもある”、といった認識程度に留めたいですが、「メイドカフェに溺れる若者」、「主のように扱うことで彼らの自尊心をくすぐる・・」などといった表現には少し考えさせられます。



こちらは9日(火)付けの紙面より、

  

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Killer posted messages to a cellphone site before going on rampage.

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The series of messeges offers a chilling glimpse into what went through the mind of Tomohiro Kato, 25, up until several minutes before his killing spree began.

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この記事ではやはり今回の事件の一番の特徴であろう、事前の携帯掲示板への書き込みについて重点が置かれています。
“Inside a killer’s mind”として、書き込みの内容についても時系列で記載され、また、犯人の社会的背景などについても報道されています。



ここからは管理人の個人的な意見ですが、
今回の事件を受けて、サバイバルナイフを規制しろなどといった声もあるようですが、そんな事は全くナンセンスだと思います。
僕らの身の回りにあるものは、何でも大抵は凶器になり得る。パソコンだって投げつけたりすれば立派な凶器だし、そもそも道具なんかなくたって、その気なら素手だって構わないわけだから、物質的な凶器に着目してそれを規制しようなどとするのは無意味な対処療法でしかない。

今回の凶行の真の凶器は、犯人に内在していた『狂気』であると思います。

そして、その凶器、狂気は人間なら誰でも、ほんの僅かであっても、常に誰もがみんな内に秘めているものではないか。
それが何故彼においては抑えきれぬほど大きくなってしまったのか、そして一線を越えて爆発してしまったのかという点に着目しなければ、この事件の本質について考える意味がない。
今回の犯人を“気違い”などと定義することはとても簡単だけど、彼と我々との違いは、それぞれ自分達が考えているほどには大きくないのではないか、という気がします。


もちろん、犯人を擁護するつもりではないし、同情の余地などは断じて無いと思います。しかし、人の人格や性格は外部環境によって形成されるもので、生まれつきの殺人者などいない。
だからこそ、ご遺族、ご関係者の気持ちになって考えてみればみるほど、
「どこかのタイミングで、何とかならなかっただろうか」
という思いが強くこみ上げてきて、苦しい気持ちになります。

どこかのタイミング、
それは犯行の直前なのか、それとももっと以前なのかは分からないけれど。


無情にも犠牲となり、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りするとともに、
ご遺族、ご関係者の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。

また、こんな悲劇が繰り返されないような社会になるように祈ります。
(これは祈ってるだけじゃだめだな・・)

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