About The Author

Posted on 8月 10th, 2007 by SEEBRA.
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副管理人won


このブログの管理人: SEEBRA

※写真は副管理人、ウォンバットのwon(編集作業中)





– Who I am ? –


本名: 澁谷(渋谷) 芳邦 [SHIBUYA Yoshikuni]


あるときはITベンチャーの営業。
あるときはCivilエンジニア。

今は後者です。



東京生まれの千葉育ち。
B型。魚座。左利き。サッカー大好き。今も現役。
千葉市幕張メッセ近くの海沿いで生活中。



・・だったのに、


今は仕事の都合でシンガポール在住。
今年の夏頃には日本へ戻る予定です。
※ →帰ってきました(2008年9月)。今は主に都内某所に潜伏してます。


▽所属チーム
【サッカー】
 ・幕張クラブ
 (千葉県社会人リーグ3部、千葉市、および船橋市社会人リーグ1部)
 ・FC NIPPON
 (シンガポールCosmo League
 ・J-Heat
 (シンガポールEquatorial Football League

【フットサル】
 ・そこそこ強いチーム  ※管理人命名
 (最近の戦績



▽今まで仕事で滞在したことのある国や地域
【中・長期】
 香港
 韓国(仁川)
 ベネズエラ(マラカイボ・あととんでもないド田舎)
 メキシコ(コスメル)
 オーストラリア(シドニー) 
 南シナ海洋上
 シンガポール

【短期】
 アメリカ(NY・LA・ダラス)
 中国(深セン)
 フィリピン(マニラ)




– 自分ver.更新履歴 –


☆自分0.0~(設計段階の頃)

197*年3月10日、東京都江戸川区小岩のとある病院にて澁谷家の次男としてこの世にリリースされる。家族構成は父、母、兄。
幼稚園まで江戸川区篠崎で暮らし、その後、川を渡ってお隣の千葉県市川市行徳へ引越し。いまやこのあたりは立派な住宅地だが、当時は空き地だらけ。子供心に「ここはどこ?」と少々混乱をきたしたりする。

小学校4年の時に友達に誘われて学校のサッカー部に入部(キャプ翼ガチ世代。当時好きだったキャラは若島津)。ポジションは球技大会の時に割とうまかった、という理由でゴールキーパーに。以降、現在に至るまで、サッカーボールを追い回し、飛びついて転がりまわったりすることが激しく快感という性質を持つことになる。


☆自分0.5~(開発初期段階の頃)

中学は普通に地元の市立中学校へ。当然のごとく引き続きサッカー部。しかし成長期でもそれほど背が伸びず、ゴールキーパーとしてもあまり大成できず。2年の途中からレギュラーの試合に出るようになるが、「3年の試合に出た2年は試合で1失点ごとにグラウンド10周」というルールができたその日に2試合で10失点、という悲惨な体験も。

またこの頃1年間くらい、日向くんばりに朝の新聞配達のバイトをこなし(ただしチャリで。日向は自走)、脚力と精神力を鍛えつつ、夜明けとともに起き出す地元のおじいちゃん・おばあちゃん達とたくさん仲良くなる(※中学でバイトというと意外に思われることがあるが、自分の中学校では他にも数人がやっていた。もちろん学校非公認だが)。しかしこれにより、わずかなバイト代の引き換えに昼間授業中に爆睡してしまうという癖が体に深く刷り込まれ、以降大いに悩まされることとなる。
勉強は主に夜に通っていた地元の塾で。スパルタ式詰め込み型であったが、まあテストで点数取るには効率良くもあり、受験期を控えてそこそこできる感じではあった。


☆自分0.7~(開発中期でいろいろ起きる頃)

高校はとにかくサッカーの強いところに行きたかったため、少々家から遠かったが、当時実績のあった船橋市のとある県立高校に進学。合格発表後、入学式前の春休みの段階からすでに強引に練習に参加し始め、先輩達にちょっと引かれる。
その後は授業中のほとんどを豪快に寝て過ごしてエネルギーをセーブし、午後の部活に集中する日々を送る。おかげで学年の終わりになってもクラスメイトの名前が半分くらいしか言えなかったりとかも。

夕方部活が終わると帰りには以前の塾に立ち寄り、週3回ほどまた講師のバイト。下級生に英語と数学などを教える。バイト時の帰宅は24:00頃で、何だか良く分からないがとりあえず充実していたような気がする(塾講師のバイトは報酬は大したことなかったがとても楽しかった☆)。

肝心のサッカー部は最初は強かったがある時期に大量退部などがあり、やっぱりまた大して強くない世代に。上の学年が引退する頃には周りから「あいつが次期キャプテンだろう」と思われたりもしていたが、「勉強の成績があまりにも悪すぎる」という点が顧問に嫌われ、副キャプテンということになる(ま、別にいいんだけど)。とにかくひたすらサッカーに集中。しかし結局大会などで目立った実績は残せなかった(非常に悔しい)。

サッカーに情熱の全てを注いでしまっていたため、最後の夏の大会に敗れてしまったあとはいわゆる燃えつき症候群的な状態に陥り、しばらく勉強その他も手につかず無為な日々をすごしてしまう(人生を振り返ってみてもこの頃の自分が一番バグっていたと思える)。
まったく勉強していなかったが、一応大学受験はいくつかしてみたりする。しかし世の中そんなに甘くはなく当然のようにどれもNG。そして冷静に自己分析を重ねた結果、どう考えても浪人してモノになるとは思えず、早く外の世界を見てみたい気持ちもあって就職することを決意(学校的には結構異例。先生、先輩、進学率下げてすいません)。


☆自分0.9~(RC版の頃)

「そこそこお金が貰えて色んなところへいけそうな仕事がいい」という発想から、都内のとある小さな会社に就職。“10年でようやく一人前”ともいわれるかなり特殊な技術で勝負する業界で粛々と揉まれる日々が始まる(おかげで常人には及びつかないとっても深い?視点を持つに至ったのかも知れない)。
そして、望み通り全国津々浦々を訪れては色々な経験を積みつつしばらく経ったある日、

社長>「お前、パスポート持ってたよな?」
自分>「はい」
社長>「じゃ明後日からしばらく南米行ってくれ」
自分>(うっ)


以降ずっと、人生のフィールドは海を超えて拡張されていくこととなる。

そして初の海外現場となった南米では本当に貴重な体験を沢山する。
まだ不安定であった幼い自我はかなり改められ、現在のベースはここで形成されたといっても過言ではないほど(※このあたりに関してはいずれエントリーで)。

かくして記念すべき『自分1.0』のマイルストーンは、この予想もしていなかった遠く地球の裏側のとんでもないところに建てられることとなったのだった。

 (記念すべきver1.0の頃)



☆自分1.0~現在(まだまだ不安定な生涯β版)






管理人 (現物はこんな感じです。。)


mail: master@shibuya-style.net