プロフェッショナル 仕事の流儀 第89回

Posted on 6月 20th, 2008 by SEEBRA.
Categories: etc, Sciety, Animal, TV.

NHKで毎週火曜日に放映されている
プロフェッショナル 仕事の流儀

管理人の好きな番組の一つで、基本的に毎回観ている。
毎週一人のその道のプロといわれる人間にスポットをあて、その仕事ぶりのみならず、その人の持つ世界観などについて掘り下げていくドキュメンタリーだ。

前々回、6月10日放送の第89回は、「獣医師 齊藤慶輔」編。
録画しておいたものをしばらく前に観た。
この番組では、全国的にすでに著名な人物も取り上げられる反面(将棋の羽生善治など)、全く知られていない人もよく取り上げられる。今回は明らかに後者のパターンだ。
そんなに面白くない回かな・・とあまり期待せずに観たのだが、これが意外なほどに良かった。いや、印象深かったというべきか。ビデオを観終わってからすぐに頭へ戻し、最初からもう一度観てしまったほど。こんなことはなかなかない。

(概要についてNHKサイトより一部引用します)
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釧路湿原の中にある齊藤の診療所。ここには、北海道中から傷ついた野生動物が運ばれてくる。治療の対象は、絶滅の危機に瀕したシマフクロウやオオワシなどの猛きん類だ。
広げると2メートルを超える大きな翼、鋭いクチバシや爪を持つ野生動物を相手にしなければならない。ペットや家畜と違い、野生の猛きん類の治療に教科書はない。齊藤は、試行錯誤を重ね、自ら治療法を編み出してきた。
だからこそ齊藤は、野生動物と向き合う時、覚悟をもって臨む。「動物の前にいるのは自分しかいない。最良を目指し、最善を尽くす」
野生動物の命をつなぎ止めるために、自らを追い込み、全身全霊で治療にあたる。



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獣医といってもちょっと特別で、ペットや家畜相手ではなく、野生動物専門。
そんな業態が存在がすることにまずは軽い驚きを感じたが、この齊藤医師が持つ『野生』に対する強い敬意と、それを表す仕事振りがすごかった。

重傷を負った野生動物は当然痛いとも痒いとも言ってくれない。ペットのように飼い主がそれを代弁してくれることもない。傷付いていても野生の証であるプライドは失っておらず、へたをすれば強硬な抵抗にあう。そのため、慎重に手で体の各部を触り、眼の光に注視し、自らも眼や時には言葉で訴えかけていくことで必死に何かを引き出そうとする。
野生動物との間には人間社会のような嘘や見栄や建前、演出や演技などが入り込む余地は一切なく、純粋な真剣勝負となる。それ故か、治療にあたる姿や表情には、医師自らも野生動物に立ち返ったかのような迫力があった。
高度な設備を使った手術や、各種薬剤の投与といった科学的な対処を施しつつも、「野生を維持し、いつか野に帰す」という使命は揺るがせず、そこへ最大限の努力を惜しみなく注いでいく。

「治すのではなく、治る力を引き出すのだ」、というそのポリシーには、貴重な野生動物達の本来の存在を守ろうというプロの流儀を感じるとともに、病気でもそれ以外でも、安易で短絡的な対処療法ばかりが蔓延している現代への違和感をあらためて呼び起こされる。
齊藤医師の仕事には、治療だけでなく、その後の野生に帰すためのリハビリ等においてもその気遣いや判断、そしてなにより自分の使命に対する純粋な想いが強く感じられた。
飼い主もいない野生動物からは感謝の気持ちも言葉も何一つ得られることはないのに、なぜこれほど情熱を注げるのか。それもやはり過去の大事な経験があったからこそなのだろう。
自分の使命とはなんだろうか。こんな仕事振りをいつか自分もしてみたいと思った。

やっぱり医者という仕事は特別だな、とあらためて思う。
「患者を何とかして元の生活へ戻す」という使命は、獣医でも一般の医師でも同じだ。そして、いくら努力してもその想いがかなわない、心を引き裂かれるようなケースにもたくさん直面せざるを得ないという宿命も。
彼らの仕事は一般的なビジネスモデルや戦略などにあてはめて考えることは全くできない、異次元の崇高な世界だ。
通常の経済原理だけで医療を考えてしまっては、その本質に辿り着けることが絶対にない所以だろう。


それから、それとは関係なくもう一つ別に思ったのは、「野生の境界線ってなんだろう?」ということ。
今回出てくる野生動物には人間にはない尊厳を感じさせるエピソードがあった。おそらく、「野に生きていること」が野生の定義なのだと思うが、どの辺からが野に生きてることになるのだろうか? 例えばイリオモテヤマネコは確実に野生動物だろうが、ではノラネコはどうだろう? 都会のノラはNoで田舎のノラはYesなのだろうか。ペットの家ネコは明らかにNoだろうな。
そう考えると、人間にfeedされているのが非野生ということだろうか。どこに住んでいても、自分でエサをとっている場合が野生であり、それが野に生きている、ということなのかな。だとすればノラネコは半々の存在か。そういえばそんな気もするな・・。


そんな風にまた色んな刺激を受け、色んな方向へ思索を巡らせることのできた、なかなか意義深い回でした。
(しばらく寝かせていたわりには取り留めのない文章になってしまった・・)


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シンガポールの新聞から - 秋葉原事件報道

Posted on 6月 10th, 2008 by SEEBRA.
Categories: Sciety.

日曜日に秋葉原で発生してしまったあの悲劇について、こちらのメディアでも連日大きく報道されています。

その中から、シンガポールではおそらく最もメジャーな日刊紙、
THE STRAITS TIMES
よりいくつか取り上げてみたいと思います。
茶色字が記事からの引用。日本語は管理人による超意訳です・・)


これは6/8(月)付けの紙面より、

 

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若者のメッカが一転

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「怖いよ。安全な国だと思っていた日本でこんなことが起こるなんて思ってもみなかったよ。」
 -秋葉原訪問経験のあるインドネシア人青年

「これは世界中のどこでも起こることだ。日本も例外ではないということ。」
 -在日歴16年のエジプト人実業家

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8日付けのこの記事で特徴的なのは、「シンガポーリアンも含めた外国人にとっても、非常に有名なあのアキバで・・」としながら、そのアキバが最近は様変わりしつつあることを背景として伝えている点でしょうか。
メイドカフェの乱立や、この4月に“自称セクシーアイドル”が路上パフォーマンスで逮捕されたこと、他にも麻生さんが昨年の総裁選で演説に訪れたことや、奇しくも池田小学校事件からちょうど7年目の日であったことなども報じられています。

ただ、どうもこの記事では、乱立するメイドカフェの存在を事件の要因の一つに関連付けたいようなのですが、それはちょっと無理がありますね・・。

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Proliferation of ‘Maid cafes’ in geek haven has led to rise in crime.

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But the growing incidence of crime involving young women that acconpanied the mushrooming of “maid cafes” in Akihabara has tarnished the area’s image in the past months.

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In recent years, the district has also seen a growing number of young men who are drawn to its “meido kafue”, a kind of role-play restaurant which originaited in the area, where young woman dressed in classic maid costumes greet male customers with “Welcome home” salutations and massage their egos by treating them as masters.

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個人的には、メイドカフェ自体は(行ったことないですが)客側も店員側もそれぞれ楽しんでやっているようなので特に問題はなく、今回の事件との因果関係も全くないと思います。
ですので、“時にはそんな光景が外国人の目には奇異に映ることもある”、といった認識程度に留めたいですが、「メイドカフェに溺れる若者」、「主のように扱うことで彼らの自尊心をくすぐる・・」などといった表現には少し考えさせられます。



こちらは9日(火)付けの紙面より、

  

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Killer posted messages to a cellphone site before going on rampage.

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The series of messeges offers a chilling glimpse into what went through the mind of Tomohiro Kato, 25, up until several minutes before his killing spree began.

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この記事ではやはり今回の事件の一番の特徴であろう、事前の携帯掲示板への書き込みについて重点が置かれています。
“Inside a killer’s mind”として、書き込みの内容についても時系列で記載され、また、犯人の社会的背景などについても報道されています。



ここからは管理人の個人的な意見ですが、
今回の事件を受けて、サバイバルナイフを規制しろなどといった声もあるようですが、そんな事は全くナンセンスだと思います。
僕らの身の回りにあるものは、何でも大抵は凶器になり得る。パソコンだって投げつけたりすれば立派な凶器だし、そもそも道具なんかなくたって、その気なら素手だって構わないわけだから、物質的な凶器に着目してそれを規制しようなどとするのは無意味な対処療法でしかない。

今回の凶行の真の凶器は、犯人に内在していた『狂気』であると思います。

そして、その凶器、狂気は人間なら誰でも、ほんの僅かであっても、常に誰もがみんな内に秘めているものではないか。
それが何故彼においては抑えきれぬほど大きくなってしまったのか、そして一線を越えて爆発してしまったのかという点に着目しなければ、この事件の本質について考える意味がない。
今回の犯人を“気違い”などと定義することはとても簡単だけど、彼と我々との違いは、それぞれ自分達が考えているほどには大きくないのではないか、という気がします。


もちろん、犯人を擁護するつもりではないし、同情の余地などは断じて無いと思います。しかし、人の人格や性格は外部環境によって形成されるもので、生まれつきの殺人者などいない。
だからこそ、ご遺族、ご関係者の気持ちになって考えてみればみるほど、
「どこかのタイミングで、何とかならなかっただろうか」
という思いが強くこみ上げてきて、苦しい気持ちになります。

どこかのタイミング、
それは犯行の直前なのか、それとももっと以前なのかは分からないけれど。


無情にも犠牲となり、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りするとともに、
ご遺族、ご関係者の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。

また、こんな悲劇が繰り返されないような社会になるように祈ります。
(これは祈ってるだけじゃだめだな・・)

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“本物”ではない森永さんの暴論

Posted on 5月 30th, 2008 by SEEBRA.
Categories: Sciety.

マスメディアにもよく登場するのでお茶の間でも有名であろう、経済アナリストの森永卓郎さんが、日経BPnet上のコラムでおかしな提言を披露している。

以前からこの人はプライマリーバランスなどについて奇妙な解釈を展開するので、グローバルエコノミーを語るには向いていないと管理人は一歩引いて見ていたのだが、どうやら時には全面的に思慮が欠落してしまうようである。それほどまでに今回のコラムの内容はひどい。


構造改革をどう生きるか
~成果主義・拝金思想を疑え!~

第134回
医療費のコスト削減策はこんなにある



管理人は元々現在の医療費削減政策にはほぼ全面的に反対である。
しかし、そんな削減策が“こんなに”ある、というので興味を引かれて見てみたら具体的なアイディアは2つだけ。しかもいずれも酒の席での思いつきかと疑われるようなトンデモ論ではないか。
こんな内容の文章を掲載する日経BP側の判断も疑わざるをえず、これでは単なるヘッドライン・ベイト(わざと注目を引く見出しをつけてクリックを誘引する手法)にも等しく、天下の日経もそこいらの三流ゴシップメディアと同列に堕ちたということなのか。他の連載を寄稿しているコラムニストにとってもいい迷惑であろう。

以下、管理人は医療従事者ではないので、専門的な反論は記事本文へのコメントやトラックバックに譲りつつも、それでも突っ込まざるをえない部分について抜粋し、いくつか挙げてみる。(茶色字がコラム本文からの引用)


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 しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。確かに先端医療の技術は進歩しているのかもしれないが、ごく一般の診療を見る限り、病院はどこも大混雑。さんざん待たされたあげく、5分しか診てもらえないというのが実情である。

 支払いは増えているのにサービスが低下している。これはどう考えても納得できない。医療費増大の原因は本当に高齢化だけが原因なのか。医療のコスト構造自体も、じっくりと検討すべきときに来ているのではないだろうか。

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ここがまず、どうしようもなく決定的におかしい。
どうも国の総医療費と受診あたりの診療費を混同して考えているようにしか読めないが、もしそうであれば経済学者としてはありえない誤解で、理論構築の根本がそもそも狂っていることになる。

医療設備や人員の総量は横ばい(もしくは減少)なのに、受診者の総数は年を追うごとに増加し続けているのだから、サービスの質は落ちることはあっても良くなるわけがない。
本来はもっと悪化しているところを、現場の医療者達による心身を削るような努力によってなんとか維持しているのが実状だろう。
そもそも「医師の数を増やさなければいけない」という点は認識しているのに、こういった論旨には自己矛盾を感じないのだろうか。
大混雑しているからこそ医師は最大限の効率で的確な診断を下す努力をするはずである。大出血や激痛を訴える患者を5分しか診なかったらそれは問題だろうが、森永さんは医者が適当にサボりながら休み休み診療しているとでも思っているのではないか。



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供給が増えれば値段が下がるのは必然であり、
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ほぼ全員がそんなことは分かっているが、そのほぼ全員から「日本の医療は市場経済ではなく統制経済である」と突っ込まれている。



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例えば、こうしてみたらどうだろうか。建築士と同じように、医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。

 確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。もし、手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。

 そこで重要になってくるのは、先端医療技術よりもコミュニケーション能力である。そうした技能の優れた人を養成して、2級医師にするわけだ。2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する。

 最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる。

 病院としても、そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。高齢者にとっては、待ち時間が減って、話をじっくり聞いてくれるので喜ばしい。こうした医療機関が普及すれば全体の医療費を下げられる。みんなハッピーになるのではないか。

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確かに、キャリアパスの一つとして2級医師という考え方自体は検討できるかも知れない。まあ聞こえが悪いので准医師といったところだろうか。看護師の次のステップとしてマージするといったことも考えられるだろう。
しかし、ここで森永さんの頭の中にあるイメージはどうもちょっと違うようだ。
「とりあえず大量に育成」「年収300万」「失業対策」「早い、安い」といった言葉からは、放っておいたらニートになってしまうような若い連中を、とりあえず大学に送り込んで4年間勉強させ、准医師として世に送り出そうという意図に感じられる。
しかしこれではまるでいわゆる“でもしか教師”ならぬ“でもしか准医師”ではないか。
そして、不定愁訴のようなお年寄りなどはそんな彼らに適当にあしらわせておけば皆がハッピーだと考えているようだが、そんな構図になんのゆがみも感じないようでは、そちらの方が何かおかしいと言わざるを得ない。
あなたこそ“2級”アナリストとしてやり直してみてはどうか、と嫌味の一つも言われても仕方がないだろう。



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医師の数を増やすもう一つの裏技がある。これは、ある医療経済学者の主張なのだが、歯科医に医療活動をさせるというものだ。

 現在、医師と比べて歯科医は数が余っているのが実情だ。一部には夜逃げをする歯科医まであると聞く。

 これを医師に転換するというアイデアである。歯科医は大学で6年間勉強しているから、医療についての知識は当然持ち合わせている。少なくとも、一般の医療活動ならば十分にできる。

 なかでも麻酔ならばお手のものだ。病院での麻酔医の不足が大きな問題となっているなか、日常的に麻酔を使っている歯科医は貴重な存在である。麻酔医を増やすためのコストがほとんどかからないので、確実に医療費の削減につながる。

 そして言うまでもなく、歯科医も消毒はするし手術もする。やっていることは医師と同じなのだ。耳鼻科医が医師であるのは、頭に近いデリケートな部分にかかわる医療をするからだろう。ならば、歯科医も医師であって悪いことはどこにもない。いますぐ、歯医者も医者をしていいという法律を定めれば、医師不足や医療コストの問題は解決するのだ。

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そもそも医療崩壊危機のような重大な事案を“裏技”で解決しようとしないで欲しいが、医療部外者である管理人にでさえ、歯科医が麻酔科医を簡単に兼任できるはずがないと直感で分かる。
全身麻酔を必要とするような手術において、術前、術中、術後と患者に張り付き、一時的に命を預かる麻酔科医が、ミスなく正確にこなさなければならないタスクとともに背負い込む責任感といったら医療部外者の想像を絶するものであると思う。だからこそ一つの独立したスペシャリティーとして確立されているのだろう。
他の方のブログにも書かれていたが、これは明らかに歯科医、麻酔科医の双方に対して、全く何の敬意も抱いていないことを表す発言だ。
ただでさえ麻酔科医の現場離脱は医療崩壊問題の中の大きな課題の一つであるのに、医療部外者にこう軽く言い放たれては、苦渋の決断で常勤を離れられた方、同じく苦渋の判断で常勤に残られた方、どちらに対してもひどい冒涜となってしまう。

しかも最後には、「歯医者が医者になれば、それで医師不足や医療コストの問題は解決する」とまで言い切っている。
つまり歯科医は麻酔科に限らず、小児科でも産科でも放射線科でも救急救命でも何でも兼任できると述べているわけだ。
暴論にもほどがある。



まとめとして、
仮にも何某かの執筆料をもらって書く以上、書く側も、その文章を広告と併せて掲載するメディア側も、対価を得るからには少なからずプロの仕事が求められるはずである。

アイディアを出すことは、それ自体はどんな突拍子もないことであってもまずは悪いことではない。
そしていわゆる悪徳医師や悪徳クリニックなどの存在や、利権者同士の癒着といったことも全くゼロではないことも理解する。
しかし、「~と聞く」とか、「少なくない」などといった本来アナリストが使うのを嫌うような曖昧な言葉を使用しながら、明確なデータやエビデンスを何も示さず、スライドやチャートの一つすらも出てこないまま展開され強引に完結する今回の提言は、何をどう勘案してもプロの仕事とは思えない。
また、今回のそんな原稿は公開前にレビューされることはなかったのだろうか。日経は「日経メディカル」という医療関係者向けのメディアも所有しているのに、読者としては残念だ。
今回のコラムについては是非、訂正文かエビデンスに基づいた“ロジカルな”反論の再掲載を望みたい。

そして、森永さんや編集者には一日でも、いや半日でもよいので、産科や救急救命病棟、緩和ケア病棟などで実地体験をしてみていただきたいと思う。

こうしている間にも、患者、医療者ともに心を震わせながら命と懸命に向き合っている医療現場が24時間休みなしにあることを、管理人含め我々医療部外者は忘れるべきではないはずだ。


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